SSブログ

狭長神社で夜を徹して「岩見神楽」を見た [岩見神楽]

小学生のころ、狭長神社で夜を徹して「岩見神楽」を見た記憶があります
狭長神社鳥居.jpg

狭長神社.jpg

旧名称:狭長社(さながのやしろ) 
 祭神:正吾勝勝速日天忍穂耳命 
祭神は、アマテラスの御子神マサアカツカチハヤヒアメノオシホミミです。
 この神は、農業神、稲穂の神として信仰されている

ここで見たのがこれで、狭長神社で夜を徹して「岩見神楽」を見た記憶があります
当時の画像がないので、「岩見神楽」公式ページより画像をかりました
大蛇が舞う、エンターテーメント要素がを含んだ、こんな雰囲気のかぐらです
神楽01.jpg

神楽02.jpg

神楽03.jpg

神楽04.jpg




nice!(0)  コメント(0) 

もののけ姫にもでてくる「たたら」とは昔の製鉄方法 [たたらとは]

アニメ映画「もののけ姫」で描かれる「たたら場」は
奥出雲地方のたたらをモデルにしていると言われています
もののけ姫のたたら.jpg
02もののけ姫のたたら.jpg

沢山の炭がいるので、炭焼きできる、砂鉄を含む土が取れる山の中が候補地
こんな湖のほとりみたいなところには作られた例はないと思いますが
03もののけ姫のたたら.gif
このたたらの歴史に、軽く触れてみたいと思います

文献学的な見地で見た場合
記録ににおける内容や「多多良」という姓氏、和名の発生時期などから
すでに古墳時代前後には国内製鉄が行われていた可能性がいわれています

1691年
出雲国における「天秤鞴(てんびんふいご)」の開発は
たたら製鉄の効率を大きく上げることとなります
このふいごが「たたら」の語源です
両端に支点のある2つの踏み板を真ん中に立つ
1人ないし2人の番子(鞴を踏む作業員)が交互に踏む方式で
送風量の増加と番子の負担軽減をもたらしました
ふいご.jpg

1750年代
ケラ(鋼の塊)はそのままで商品として出荷されました
その後、近代に入るとフイゴを水車を使って稼働させる方法が
広く採用されました

17世紀初頭
鉄穴流し(かんなながし)という水路を使って砂鉄を含む土砂を流して
砂鉄をとる大規模採取の実現は
フイゴの改良と相俟って鉄の増産を可能にし
砂鉄を含む、土砂を流して砂鉄を取る方法は、そのあとに埋め立てられた土地ができるので
それを使った棚田農法ができた
かんなながし.jpg

近世中期
たたら場の施設全体にも大きな変化があった
「永代たたら」への移行である
それまでの「野だたら」は砂鉄や木炭用の森林資源を求めて
移動を繰り返す必要があったが、良馬の繁殖の成功によって
運搬力が増強された結果、それら原材料の輸送が容易になったことで
たたら場全体を「高殿(たかどの)」と呼ばれる建物で覆って
固定化できるようになり、操業の全天候化の他
地下構造を含めた施設全体の拡大やそれに伴う増産が可能になった
けら.jpg

19世紀の初め
たたら製鉄はには成熟期を迎え
幕末から明治中期にかけても依然として国内製鉄の中心だった
しかし明治30年代、関税自主権を持たないことにもよる
安価な輸入鋼材の流入、および国内での洋式製鉄の伸張により
急速に衰退1923年(大正12年)に商業生産を終えた
nice!(0)  コメント(0) 

「たたら」と田辺家/たたらとは古来から伝わる製鉄方法 [「たたら」と田辺家]

田辺家は古来から「たたら製鉄」行っていました
「たたら」できる玉鋼を鍛えると、日本刀になります
「もののけ姫」に出てくるあのイメージです

「たたら」の近く、吉田町の町並み
街並み.jpg

「たたら」は小学校の遠足で行きまして、結構印象にのこっています
「田辺長右エ門」の名前は山をいっぱい持っている人として、良く聞かされていました
なので「たたら」と「田辺家」のかかわりをちょっと調べてみました
小屋.jpg

「たたら」とは
砂鉄、山の木を炭に、炉を築き、これはできた鉄を取り出すとき、こわされます
一操業に対し、砂鉄13tと木炭13tという膨大な量を用い
三昼夜燃やし続けると中に約3tの「鉧(けら)」と呼ばれる塊ができます
その中の不純物の少ない良質な部分が「玉鋼」です
 純度が高いこの貴重な鉄は、叩き、伸ばすことで鍛えられ
古くから日本刀の材料に用いられてきました
たたらギャラリー01.jpg

「たたら」と「田辺家」
田辺家の家長は代々「田辺長右エ門」と名乗るしきたりがあります
中央大学卒業生を紹介するホームページ「楽員時報オンライン」
25代目「田辺長右エ門」 のインタビューから抜粋

たたら製鉄を500年ぐらいやっていました
先祖は和歌山の田辺で、熊野水軍です。水軍と言えば恰好いいですが
まぁ海賊みたいなものそれが1246年(寛元4年)に島根県にやってきます
その後、武士を11代やってからたたらを始めます
だから「海賊から山賊になっただけ」と、祖父はよく言っていました
製鉄のために木材が必要ですから、昔から山をどんどん買いました

たたらの歴史
室町時代 1460年 吉田で川砂鉄を採取し製鉄を始める
戦国時代 戦乱のため製鉄ができなくなり、一族率いて広島県に移動
江戸時代 吉田に戻り製鉄を再興し、板踏鞴で生産が増加
1962年 町家9件を購入
1751年 菅谷たたら創設
1796年松枝藩が大量の銃を受注し松前藩に収める
1802~1825年ほぼ毎日操業
明治期 安価な洋鉄の輸入によりたたら製鉄圧迫
1921年 鈩鍛冶屋の事業を半減し、木炭の生産を始める
1923年 たたらの火が消えて、木炭専業に従事

田辺家の今
25代目 田辺長右エ門が代表取締役
所有する山林 最盛期には25,000haは大阪市と同じ面積(現在は4,000ha)
株式会社 田辺
売上高 40億
総資産 50億

ケンタッキー・フライド・チキン、ピザハット、サブウエイ合計49店舗を運営
関連企業
山陰中央TV、山陰中央新聞、他合制作板会社、印刷所など
nice!(1)  コメント(0) 

新しくできたお店・施設 [新しくできたお店・施設]

交流センター
地域交流の場所でイベントなども、緊急避難所にもなるらしい
もと農協があった場所か?
掛谷交流センター.jpg

雲南夢ネット掛合局
雲南市が運営する、清掃事業・冠婚葬祭事業・CATV事業などの支局
旧役場の入り口のへん
雲南夢ネット掛合局.jpg

山陰合同銀行支店
新国道沿いにある
山陰合同銀行支店.jpg

掛合建具センター
仕切り・建具の会社 新国道沿い
掛合建具センター.jpg

コメリ ホームセンター 新国道沿い
コメリ ホームセンター.jpg

老人福祉施設 えがおの里
左に平屋の建物が続く 新旧国道の間
旧国鉄バスの駅があったとこの周囲
えがおの里.jpg


nice!(1)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。