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須佐神社 掛谷ではないが、すぐ近くにある史跡/須佐之男命 (すさのおのみこと) が祀られている神社 [須佐神社]

須佐神社.jpg
掛谷ではないが、すぐ近くにある史跡なので取り上げておきたい
近くに親戚があったので、何回か行ったと思う
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八つの頭を持つ大蛇「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)」を退治したとの伝説の
須佐之男命 (すさのおのみこと) が祀られている神社である
出雲国風土記に、「この国は小さい国であるがよい処である。」とある。
それで「自分の名は石木につけない、この土地につける」と須佐之男命が仰せられて、大須佐田、小須佐田を定められ、自分の御魂を鎮められたという意が書かれている
須佐能の尊.jpg
須佐之男命の御本宮として古くより須佐大宮という
農耕、殖産、興業、延壽の神としてまつられ、朝廷をはじめ藩主、武将のや
一般の人からもも敬われた
社殿の造営は、武将、藩主によって行うのを例としてきた
雪夜の須佐神社

itaru inoue inspire1 v2 / Video creator inoue 様の動画共有させてもらいました

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雲南市掛合町八重山神社/牛馬の守護神ドローン動画有り [八重山神社]

岩壁のくぼみに拝殿や本殿があります
松江藩ゆかりの牛馬の守護神であり、家内繁盛や病気平癒の神様
いったん火事で焼失しましたが、1734年に松江藩主によって再建され
「一社一例国主守護之社」として崇拝されている
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健速須之男命が八股蛇を退治の後
「鷲尾の猛」という魔神が八重山岩窟に住み鶏を使い良民を苦しめていた
その魔神を退治すると魔神は金鶏に姿を変え村人の為に尽くしたと言われる
岩窟s.jpg
長い石段の途中に門があり、さらに登ると絶壁の岩のくぼみに本殿がある
本殿右下には魔神が住んでいたと言われる洞窟の入り口が見える
4月には春祭り、9月には秋祭りがおこなわれる
小学生のころ家が牛を飼っていたので、秋祭りにお札を買いに行った記憶がある
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随身門に設置されている隋神像と狛犬は
世界遺産「石見銀山」にある五百羅漢の作者「坪内平七郎利忠」の作で
全国でも珍しい型です
随身門.jpg
狛犬.jpg 

石見銀山の五百羅漢
石見銀山の五百羅漢.jpg


雲南市観光協会作成のドローン画像

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島根県雲南市「出雲風土記」で飯石郡と掛谷の由来を調べた [出雲風土記]

「掛谷」の地域の由来を調べているうちに、「出雲風土記」と出会いました
結局、地域名の由来はわかりませんでしたが、「出雲風土記」に興味をもって、少し調べてみました
写本 風土記表紙.png
飯石郷.png
多禰がいつどうして掛谷になったかは、以前分からないままであるが
その時代の地域割と地域名はこのようになっています
飯石郡に「多禰」とかかれているところへんが、が「掛谷」であったと思える
iistizu.gif
iistizu飯石郡と多禰の由来ほぼこうである
飯石郷.png
「飯石と號くる所似は、飯石郡の中に
伊比志都幣命(いいしつべのみこと)、坐(ま)
故、飯石といふ。」と記されている
飯石神社の御神体は、拝殿の後ろに鎮する磐石なのです
はるか古代の人々は、この磐石を伊比志都幣命が降臨する依り代として
お祀りをしていたのです
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オオナムチ(所造天下大神)と須久奈比古命(すくなひこ)が天下を
巡っている際に此処に稲種を落としたことに由来する

「出雲国風土記」は
733年(天平5)に完成した
「風土記」は713年(和銅6)に、風土記の編纂命令が諸国に下され
その命令は、
 (一)諸国の郡郷の名に「好字」をつける
 (二)郡内の産物の品目
 (三)土地の肥沃の状態
 (四)山川原野の名の由来
 (五)古老(ころう)が伝承している旧聞異事
 以上を史籍に記載して、提出しなさい

この「諸国の郡郷の名に好字をつける」とは
郡郷の名を漢字二字の嘉字(かじ)に改める命令で
これにのっとって、733年に出雲国で編集される

当時は全国60余りの国すべてについて風土記がつくられたはず
こうした「風土記」の多くは、経年のうちに散逸し、現存する風土記は
出雲(いずも)・常陸(ひたち)・播磨(はりま)・豊後(ぶんご)・肥前(ひぜん)の
「五風土記」
これらの『風土記』は1,300年もの長い間に、大半のものが部分的に散脱しており
すべてが完全に残っているのは『出雲国風土記』だけ

だが、残念ながら奈良時代当時の『風土記』がそのまま残っているわけではなく
後の時代に手書きで写 した『写本』が残っており
この『写本』が『出雲国風土記』を現代に伝えている
『出雲国風土記』からなにがわかる?
日本の古代の書物は、『古事記』『日本書紀』などが有名
しかし、これらは中央政府(奈良の都)の政治史を中心に書かれており
地方のことは詳しく書かれていない
『出雲国風土記』には当時の出雲がどのような姿をしていたかが克明に記されているので
奈良時代の出雲地方の様子を知ることができる

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