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日本刀の作り方/まず均等な大きさの炭を準備するとこから [たたらとは]

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鉄穴流(かんながし)で採取された素材となる砂鉄を「たたら製鉄」で生産し
投入した13トンほどの砂鉄の1%ほどしか取れない「玉鋼」(たまはがね)を硬さで選別する「水減し」(みずへし)や「小割り」(こわり)、厳選した玉鋼を精錬するための「折り返し鍛錬」、刀の形を作り上げる「素延べ」や「火造り」(ひづくり)、日本刀のポイントである刃文と反りを決定付ける「焼き入れ」、そして形を整える「鍛冶押」に、自らの名前を刻む「銘切り」といった工程があるそうです
沢山の複雑な工程を何とか文章にまとめようとしましたが、難しかったので、下の動画を見てください


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「たたら」とは昔の製鉄炉に空気を送るふいごのような装置のこと/炉の名前と思っていた [たたらとは]

「たたら」とは製鉄のための炉だと思っていたのですが
本来は、炉に空気を送り込む足踏みのふいごのような装置のことだったようですが
交代で昼夜踏み続ける人のことを「 番子 ばんこ/ばんご 」とよびます
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あえて「たたら」と呼ばせてもらいます
このたたらは、「高殿」という建物の中に操業のだびに粘土でつくられ壊されます
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上部の炉の部分は鉄を取り出すために壊されますが
深さ4メートルもある地下構造は使いまわされていたはずです

この全工程を取り仕切るのは「村下」と呼ばれる人
砂鉄の取れる環境の土地を所有、たくさんの炭を生産できる広大な山林を所有
たたらを運営できる財力を持った「田辺家」があったからこそこれができたのですが

《操業工程》三日間昼夜通して行われます
それぞれ13tもの「鉄穴流し」によって取れた砂鉄(のちは棚田になる)と炭が必要
炉づくり 灰を締め固めた炉床の上に、良質の粘土を塗り固めて炉を築く
操  業 1日目 操業開始(炉に火を入れ、まず炉を乾燥させてから、砂鉄の投入を開始)
鉧(ケラ:スポンジ状の鉄)ができ始め、安定操業に入る
2日目 鉧が成長。砂鉄と木炭の装入量を増やす
3日目 砂鉄の装入を続け、送風量を高める。ノロ(鉄滓)出し
砂鉄の装入を完了
4日目 鉧出し(送風を停止し、炉を壊して鉧を取り出す)
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この鉧のらのうち鉄の純度が高い玉鋼が刀剣の材料となる
良質の玉鋼は投入した砂鉄の量の1%ぐらいしか取れないしとれる量に毎回バラツキがある
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「たたら」がもたらした棚田/ササニシキと並ぶ仁多米の産地に [たたらとは]

刀剣の材料となる玉鋼は独特の「たたら」製鉄によって産出されます
奥出雲は「鉄穴流し(かんながし)」と呼ばれる山を切り崩し、長い水路と池を作り
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比重差によって「たたら」で使うかう砂鉄を採取するための跡地は
美しい風景、棚田をもたらしました
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豊富な水、ミネラルたっぷりな土壌、昼夜の寒暖差が影響して
東のササニシキと並ぶおいしさの仁多米の産地になりました
一時期は土砂の流出が問題となり農民から「鉄穴流し」に対する反対意見もあり
農繁期以外の時期だけ行われるということもありました
いっけん自然破壊のように思えますが、おいしいお米と、棚田の風景は
「鉄穴流し」が無かったら、実現されていなかったものです
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もののけ姫にもでてくる「たたら」とは昔の製鉄方法 [たたらとは]

アニメ映画「もののけ姫」で描かれる「たたら場」は
奥出雲地方のたたらをモデルにしていると言われています
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沢山の炭がいるので、炭焼きできる、砂鉄を含む土が取れる山の中が候補地
こんな湖のほとりみたいなところには作られた例はないと思いますが
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このたたらの歴史に、軽く触れてみたいと思います

文献学的な見地で見た場合
記録ににおける内容や「多多良」という姓氏、和名の発生時期などから
すでに古墳時代前後には国内製鉄が行われていた可能性がいわれています

1691年
出雲国における「天秤鞴(てんびんふいご)」の開発は
たたら製鉄の効率を大きく上げることとなります
このふいごが「たたら」の語源です
両端に支点のある2つの踏み板を真ん中に立つ
1人ないし2人の番子(鞴を踏む作業員)が交互に踏む方式で
送風量の増加と番子の負担軽減をもたらしました
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1750年代
ケラ(鋼の塊)はそのままで商品として出荷されました
その後、近代に入るとフイゴを水車を使って稼働させる方法が
広く採用されました

17世紀初頭
鉄穴流し(かんなながし)という水路を使って砂鉄を含む土砂を流して
砂鉄をとる大規模採取の実現は
フイゴの改良と相俟って鉄の増産を可能にし
砂鉄を含む、土砂を流して砂鉄を取る方法は、そのあとに埋め立てられた土地ができるので
それを使った棚田農法ができた
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近世中期
たたら場の施設全体にも大きな変化があった
「永代たたら」への移行である
それまでの「野だたら」は砂鉄や木炭用の森林資源を求めて
移動を繰り返す必要があったが、良馬の繁殖の成功によって
運搬力が増強された結果、それら原材料の輸送が容易になったことで
たたら場全体を「高殿(たかどの)」と呼ばれる建物で覆って
固定化できるようになり、操業の全天候化の他
地下構造を含めた施設全体の拡大やそれに伴う増産が可能になった
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19世紀の初め
たたら製鉄はには成熟期を迎え
幕末から明治中期にかけても依然として国内製鉄の中心だった
しかし明治30年代、関税自主権を持たないことにもよる
安価な輸入鋼材の流入、および国内での洋式製鉄の伸張により
急速に衰退1923年(大正12年)に商業生産を終えた
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