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島根県雲南市「出雲風土記」で飯石郡と掛谷の由来を調べた [出雲風土記]

「掛谷」の地域の由来を調べているうちに、「出雲風土記」と出会いました
結局、地域名の由来はわかりませんでしたが、「出雲風土記」に興味をもって、少し調べてみました
写本 風土記表紙.png
飯石郷.png
多禰がいつどうして掛谷になったかは、以前分からないままであるが
その時代の地域割と地域名はこのようになっています
飯石郡に「多禰」とかかれているところへんが、が「掛谷」であったと思える
iistizu.gif
iistizu飯石郡と多禰の由来ほぼこうである
飯石郷.png
「飯石と號くる所似は、飯石郡の中に
伊比志都幣命(いいしつべのみこと)、坐(ま)
故、飯石といふ。」と記されている
飯石神社の御神体は、拝殿の後ろに鎮する磐石なのです
はるか古代の人々は、この磐石を伊比志都幣命が降臨する依り代として
お祀りをしていたのです
1355897289_fjo8.jpg
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オオナムチ(所造天下大神)と須久奈比古命(すくなひこ)が天下を
巡っている際に此処に稲種を落としたことに由来する

「出雲国風土記」は
733年(天平5)に完成した
「風土記」は713年(和銅6)に、風土記の編纂命令が諸国に下され
その命令は、
 (一)諸国の郡郷の名に「好字」をつける
 (二)郡内の産物の品目
 (三)土地の肥沃の状態
 (四)山川原野の名の由来
 (五)古老(ころう)が伝承している旧聞異事
 以上を史籍に記載して、提出しなさい

この「諸国の郡郷の名に好字をつける」とは
郡郷の名を漢字二字の嘉字(かじ)に改める命令で
これにのっとって、733年に出雲国で編集される

当時は全国60余りの国すべてについて風土記がつくられたはず
こうした「風土記」の多くは、経年のうちに散逸し、現存する風土記は
出雲(いずも)・常陸(ひたち)・播磨(はりま)・豊後(ぶんご)・肥前(ひぜん)の
「五風土記」
これらの『風土記』は1,300年もの長い間に、大半のものが部分的に散脱しており
すべてが完全に残っているのは『出雲国風土記』だけ

だが、残念ながら奈良時代当時の『風土記』がそのまま残っているわけではなく
後の時代に手書きで写 した『写本』が残っており
この『写本』が『出雲国風土記』を現代に伝えている
『出雲国風土記』からなにがわかる?
日本の古代の書物は、『古事記』『日本書紀』などが有名
しかし、これらは中央政府(奈良の都)の政治史を中心に書かれており
地方のことは詳しく書かれていない
『出雲国風土記』には当時の出雲がどのような姿をしていたかが克明に記されているので
奈良時代の出雲地方の様子を知ることができる

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