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「たたら」と田辺家 ブログトップ

[もののけ姫】にも出てきた「たたら」が奥出雲で栄えた理由/田辺家が一番の要因 [「たたら」と田辺家]

「たたら」とは昔の製鉄方法で、「もののけ姫」に登場します
特に刀剣用の材料は玉鋼とよばれ、最盛期には日本の鉄の需要の約80%が田辺家の運営する「たたら」で製鉄されたものでし
たたらに関係する人とその家族で1つの村が形成されていました
それは現在吉田に残っています
ではなぜ、吉田で「たたら」製鉄が盛んで行われたのでしょうか

その最大の要因に田辺家の存在が有ると思っています
田辺家は自分の土地を通って海に行けるほど(最盛期には25,000haは大阪市と同じ面積)
そうとうの山を持っていたので、その山の木を焼いて沢山の炭を生産出来ました
砂鉄含んだ土砂を長い水路に流して、砂鉄を採取する「鉄穴流し」が出来る
風化した花崗岩の地層が露出していたことや、豊富な水量、地形に
適した土地を保有していたことも一つの要因です
砂鉄、山の木を炭に、炉を築き、これはできた鉄を取り出すとき、こわされます
一操業に対し、砂鉄13tと木炭13tという膨大な量を用い
三昼夜燃やし続けると中に約3tの「鉧(けら)」と呼ばれる塊ができます
その中の不純物の少ない良質な部分が約1tの「玉鋼」です
これは<おれない、曲がらない >刀剣の材料となります
田辺グループ.jpg
田辺家の今
25代目 田辺長右エ門が代表取締役
所有する山林 最盛期には25,000haは大阪市と同じ面積(現在は4,000ha)
株式会社 田辺

関連企業
「田辺の杜」不動産業・家具製作
「出雲湯村温泉」温泉施設運営
「TANABEグローバルキッチン」ケンタッキー、ピザハットFC展開
「株式会社JUTOKU」空間プランニング

山陰中央TV、山陰中央新聞、他合制作板会社、印刷所など

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「たたら」と田辺家/たたらとは古来から伝わる製鉄方法 [「たたら」と田辺家]

田辺家は古来から「たたら製鉄」行っていました
「たたら」できる玉鋼を鍛えると、日本刀になります
「もののけ姫」に出てくるあのイメージです

「たたら」の近く、吉田町の町並み
街並み.jpg

「たたら」は小学校の遠足で行きまして、結構印象にのこっています
「田辺長右エ門」の名前は山をいっぱい持っている人として、良く聞かされていました
なので「たたら」と「田辺家」のかかわりをちょっと調べてみました
小屋.jpg

「たたら」とは
砂鉄、山の木を炭に、炉を築き、これはできた鉄を取り出すとき、こわされます
一操業に対し、砂鉄13tと木炭13tという膨大な量を用い
三昼夜燃やし続けると中に約3tの「鉧(けら)」と呼ばれる塊ができます
その中の不純物の少ない良質な部分が「玉鋼」です
 純度が高いこの貴重な鉄は、叩き、伸ばすことで鍛えられ
古くから日本刀の材料に用いられてきました
たたらギャラリー01.jpg

「たたら」と「田辺家」
田辺家の家長は代々「田辺長右エ門」と名乗るしきたりがあります
中央大学卒業生を紹介するホームページ「楽員時報オンライン」
25代目「田辺長右エ門」 のインタビューから抜粋

たたら製鉄を500年ぐらいやっていました
先祖は和歌山の田辺で、熊野水軍です。水軍と言えば恰好いいですが
まぁ海賊みたいなものそれが1246年(寛元4年)に島根県にやってきます
その後、武士を11代やってからたたらを始めます
だから「海賊から山賊になっただけ」と、祖父はよく言っていました
製鉄のために木材が必要ですから、昔から山をどんどん買いました

たたらの歴史
室町時代 1460年 吉田で川砂鉄を採取し製鉄を始める
戦国時代 戦乱のため製鉄ができなくなり、一族率いて広島県に移動
江戸時代 吉田に戻り製鉄を再興し、板踏鞴で生産が増加
1962年 町家9件を購入
1751年 菅谷たたら創設
1796年松枝藩が大量の銃を受注し松前藩に収める
1802~1825年ほぼ毎日操業
明治期 安価な洋鉄の輸入によりたたら製鉄圧迫
1921年 鈩鍛冶屋の事業を半減し、木炭の生産を始める
1923年 たたらの火が消えて、木炭専業に従事

田辺家の今
25代目 田辺長右エ門が代表取締役
所有する山林 最盛期には25,000haは大阪市と同じ面積(現在は4,000ha)
株式会社 田辺
売上高 40億
総資産 50億

ケンタッキー・フライド・チキン、ピザハット、サブウエイ合計49店舗を運営
関連企業
山陰中央TV、山陰中央新聞、他合制作板会社、印刷所など
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